HOME   >>  スポンサー広告  >>  スポンサーサイト音楽(トルコ)  >>  Hikmet先生おさらいの時間
-- --
--

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
08 12
2009

音楽(トルコ)

Hikmet先生おさらいの時間

↓で、いきおいで全訳してみたKız çocuğuですが、
いきおいで全訳してから気がついたけど、「原詩の日本語訳」はネット上でけっこう見つかるんですね。
まぁしかし、原文への忠実度を最優先したうえで日本語としての違和感のなさをも追求したという点でトル検4級訳でもかなりいい線いってると自画自賛しておこう

さて、この詩、なにせ7歳の女の子の言うことですから、ことばや言い回しそのものは平易であり、トル検4級でもちょっこと辞書ひけばスルスルッと理解できる。そこは、5年ほど前に全訳に挑戦しかけて挫折し部分訳で妥協した「日本の漁師」とは大きく違うところ。

けど、日本語にするにはやっぱりそれなりにひっかかる。


★★★★★
1.
たとえばsizは「あなた」か「あなたがた」か。意味から考えればほんとうは「あなたがた」ないし「みなさん」にするのが正解かもしれない。でも、それだとなんだかアジテーションくさい気がするのよね、7歳の女の子にしては。だからここは、相手が複数ではあってもひとりひとりに呼びかける感じでいきたい。だから、ここはあえて「あなた」。

2.
「Gözünüze görünemem
「göze görünmez ölüler」
下のgörünmezは単なる否定だけど上のgörünememは「(わたしは)~できない」という不可能を表している、という違いがある。が、日本語ではどっちも「見えない」としかできないのが悩ましい。「(わたしは)~できない」という表現の中に、姿かたちを失ってしまった悲しみが表されている、と思うのだけど。

3.
「külüm havaya savruldu」
havaちうのはよく使うけどクセモノで、英語ならairだろうけど日本語だとそれにぴったりな言葉がない。とあるところでは「空へ」としてあるのを見たけど、たぶんこの場合、灰は高いところに向かって飛ばされたのではなくて、わたしたちのまわりにある「空気中」に散ったんじゃないかなーと。でも、「空気中に」じゃそこだけミョーにかたくなっちゃうし。ということで、ここはちょっと意味がせまくなるけど「風の中へ」としてしまいましたとさ。


まあ、なにせトル検4級の言うことですから、ハズレかもしれません。


*******

ネット上でみかける英訳とか日本語訳とかを眺めてて思ったこと。

やっぱ、重訳ってキケンよね、と思った話。
ま、このぐらいの詩ならそんなにハズレることはない、とはいえ。

たとえば、詩の冒頭。

 Kapıları çalan benim
 kapıları birer birer

これを英語に訳した例。ここより引用。

 It's me who knocks
 the doors one by one

この訳と原文とのギャップはそんなにない、と思う。
すなわち、だれかが扉をたたいていて、わたしです、という声がきこえる、という状況が先にあって、然る後に、その声の主は扉をひとつひとつたたいてまわっているのだ、ということがわかる、というように、描写の順番がちゃんと守られ、kapıları birer birerという「付け足し」が生きているのだ。
しかし、この英訳から無造作に和訳をつくると、こんなことになってしまう。

 扉をひとつひとつたたいているのは私

これじゃーダメっすよね
もとのトルコ語から直接訳せば、ほぼそのまんまいけちゃうのにね。

*********

もうひとつ、気になったこと。
まーわたしも、原詩をヨソからコピってきたのであんまりヒトのことはいえませんが。
しかしですね。

英訳にせよ和訳にせよ、他人がやった翻訳を、どこから引っ張ってきたかも、
他人の訳であることも示さずに、まんま貼っちゃダメっすよぉ~~
スポンサーサイト
Comment

また来た(笑)

元ちとせさんが歌う詞は、確かロシア語翻訳の人が訳したとか。。。ロシア語からの重訳だからあんなスゴイことになったのかな?

訳って、文化的・語学的な背景までをどこまで組み入れるか、ほんとうに難しいと思います。 例えば、ご指摘のsizも、あたしも「単人称」で、かつ、年上の人に呼びかけているからsenじゃなくてsizなんだと思います。。。なんてことを翻訳に入れようとすると、日本語に正確に訳すのはムリ(汗)

トルコ語って、日本語と近いようで遠い、不思議な言語です。

Re: また来た(笑)

元ちとせの歌ってるのって、歌詞にするためにモトの訳詩にさらに手が加えてあるんだろうと思ってたんですけどね、わたし。
気になって『ヒクメット詩集』みてみたら、あれって<中本信幸訳>ほぼそのまんまなんですね。
「10年前に」と「署名をどうぞしてちょうだい」が変えられてるだけ。
ふむ。歌詞なら原文との違いは許容せねばしかたあるまい、と思ってたけど、翻訳なら話は別。
今こそ字を太にして言ってやろう、

 こいつぁひっっでぇ訳だv-12v-12v-12

まぁ中本氏の罪なのかロシア語訳の罪なのかはわかりませんけどね。
なんか、どこかの段階で、「この詩はぜひ世界に伝えなければならない!そのためにはもっと強い表現にせねば!」みたいないらん意図が働いたような感じだなぁ。だっっさいよなぁ、そういうセンス。

付け足し。

その点、飯塚広訳のほうは、よくできてるなぁ、と思うんですよね。
「あなたの胸に響くでしょう」が余計なのと、「目と手が焼けてしまったの」に誤訳疑惑あり、てくらいで。
原文にない表現はあっても、原文の世界を損なうものではない、と思うし。
「そのまま6つの女の子 いつまでたっても6つなの」とか、原文通り「死んだ子は大きくならない」などという説明を入れるよりよほど伝わるものがある。
「誰にも抱いてもらえないの」というのも、「なにもいらない」と言っていることの解釈として納得がいく。べつにパンとか米とか、食べ物の話だけしてるわけじゃありません、みたいな、ねv-17

ただメロディーがイカニモなところがいやなんですけどね~
こういう、歌詞が悲しくてたまらんものは、あえてメロディーは長調でいったくらいでちょうどいい。
『さとうきび畑』とかがそうであるように。

姐さん、「ヒクメット詩集」持ってるの?マニアだねぇ(@_@)
しかし、曲につけるための「歌詞」じゃなく、ちゃんとした翻訳だったとわ。
お粗末すぎ(-"-)

そういえば、どっかでこの詩集を取り上げて「亡命トルコ人作家がロシア語で書いた…」とか紹介してたんだけど、そんな事、その本に書いてある?
…見ないで書いただけかねぇ(-"-)

ちゃうちゃう、持ってたらとっくにツッコミ入れてますえ。
図書館にあったから見てみたのだ。
んで、手元にないから確認できないんだけど、
あとがき等ざざっと見た限りでは、そんなことは書いてなかった。
ただ、
・ソ連に亡命していたこと
・訳者の専門がロシア語であること
・訳者がモスクワ留学時代に本人に会っていること
・参考にしたものとしてロシア語版が最初にあげられていたこと
などから、「ロシア語で書いた」という新たな脳内事実が生成された可能性は大いにあると思われます。

勉強させてもらいました

この歌、ネタとして注目してましたので、こちらで対訳していただいてるのは大変勉強になりました。
字幕で一人称が「わたし」ではなく「あたし」になっているのになんとなく違和感を抱いていたのですが(どうでもいいポイントですが)、これも含めて歌詞がへんてこなのは訳詞の中本氏に罪あり、なわけですね。
あとメロディーがうるさいのは坂本教授のせい、ってことで、ちとせタンには罪は無いって事で...

わ。「勉強になりました」だなんて、お恥ずかしゅうございますわ。まあ今のところどなたもつっこまないので、大きな間違いはないんだろうと思いますけど。

ええ、ちとせタンには罪はないと思いますし、メロディーだって歌詞にあわせたらああなっちゃうだろうなと。だからすべて訳詩の問題だと思います。ただ上に書いたように、モトになったと思われるロシア語訳の段階でヘンになってたということは十分ありえますから中本氏がわるいのかどうかはわかりません。当時は重訳が当たり前だったのでしょうしね。
ちなみに訳詩では「あたし」になってるから字幕もそうなってるんでしょうけど、ちとせタンはくっきりはっきり「わたし」と発音してますよね。「わ」のほうが力こめやすいのか。でも私も訳しながら思ったんですけど、7歳女児の一人称として「わたし」と「あたし」とどっちが自然なんだろう。まあ正解はきっと「○○ちゃん」なんでしょうけど、それは無理ですからねぇ。
Trackback
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






全記事表示リンク
プロフィール

e子

Author:e子
九州産北海道民


Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。