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02 07
2009

キャーズム・コユンジュ

そして、私たちは愛に帰る(2)

『そして、私たちは愛に帰る』のなかで、Ben Seni Sevduğumiは4回流れる。
冒頭にキャーズムのソロ、第一部の終わりに間奏部分のリミックス、終わり近くでキャーズムとŞevval Samのデュエット、そしてエンドクレジットでMaçkalı Hasan Tunçによるオリジナル。

冒頭、黒海沿岸のどこか(といっても、イスタンブールからそれほど離れていないところ)のガソリンスタンドで、キャーズム・コユンジュがソロで歌うBen Seni Sevduğumiが流れている。
そこへ立ち寄った男(主人公)と店員の会話。ウロおぼえだけどこんな感じ。

  「この歌は?」
  「キャーズム・コユンジュだよ。知らないの?」
  「知らない」 
  「黒海では有名だよ」
  「聞いたことないな」
  「2年前に死んだんだ。癌でね。まだ若かったよ、あんたと同じくらいの年だ。
   チェルノブイリのせいだよ(注1)、最近わかったんだ」

(以下、ネタバレと言えなくもない内容を含む)

★★★★★

そしてこのシーン、終わり近くでもういちど繰り返されるが、たったひとつだけ、違うところがある。
それは、流れているBen Seni Sevduğumiの歌声が、キャーズムではなくシェヴァル・サムのものである、ということ(キャーズムもいっしょに歌ってはいるのだが)。しかし、当然会話は

 「この歌は?」
 「キャーズム・コユンジュだよ、知らないの?」

となっているからして、キャーズム・コユンジュとは女性歌手であると誤解した人も少なくなさそーな



さて。
このシーンが冒頭にもってこられた意味である。

[ここ]を最初に読んだときから、ツッコミ入れたくてしょうがなかったんだけど、パンフレットにも同様のことが書いてあったので、このさいだから遠慮なく文句たれておく。

このシーンが「主人公はトルコの大ヒット曲(注2)も知らない=移民であるがゆえにトルコのことを知らない」ことを示す、という解釈はハズレである。
なぜなら、店員はわざわざ「黒海沿岸では有名」と言っているからである。ここをスルーしないでほしいですまったくもう

そうではなくて、ここでわかるのは、主人公がなじみの薄い土地に来ている、すなわち、旅の途上にあるということだ。そして、彼がこの旅に出るに至る過程が、物語で明らかにされていくのである。

そして、もっと重要なこと。
ここでキャーズム・コユンジュの話が持ち出されるのは、<この映画は、死についての映画である>という予告みたいなものなのだろう。人生を全うしての死ではなく、志半ばでの死、非業の死、理不尽な死。だからこそ、ふたつの死と、それを巡る物語の後で、このシーンがもういちど繰り返される意味があるのだ。


(注1)ウクライナとトルコは、黒海をはさんでお向かいさんである。
    そりゃあもう、黒海沿岸にはいろいろと飛んできたことだろう。
    実際、日本に輸入されたヘーゼルナッツから放射能汚染がみつかったりしている。
    (ヘーゼルナッツの主産地は黒海沿岸東部地域)

(注2)この曲が実際、どのくらい「ヒット」したかは、わたしはまったく知らない。
    この曲がおさめられているアルバムHaydeは、プロモーションをしていないにしては
    (この曲を含め、キャーズム君の曲には、ビデオクリップというものがない)
    驚異的な売れ行きだったらしいが、それにしたって、
    「トルコ人なら誰でも知ってるほどの大ヒット」というのは、
    さすがにあり得ないんじゃないかと思うけど、どうだろう
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Comment

キャーゼム・コユンジュとラズ語のことを調べていて、このブログにたどり着きました。2月1日のブログで、ファティフ・アクンの出自のことを書かれていましたが、1973年8月25日にドイツのハンブルクで生まれたのはご存知かと思います。両親は黒海地方の出身だとトルコ語で書かれたものを読んだことがあります。具体的な地名までは分かりませんが、時間をかければ判明すると思います。

すみません。キャーゼムではなく、キャーズムでした。

hasuge様
ありがとうございます。ただのおバカファンサイトですが、このブログが多少なりともお役にたてましたら幸いです。
さて、↑の書き込みを拝見しまして、あらためてトルコ語のWikipediaのFatih Akınの項をみましたところ、本文には両親の出身については何も書いてありませんが、下のカテゴリのところがばっちり「Trabzonlular」(トラブゾン出身者)となっていました。
映画からも(Ben Seni Sevduğumiの使い方からいっても)、思い入れのようなものが強く感じられるので、そうじゃないかなあ、と思ったのです。

ごぶさたしちゃいました

キャーズムくんシリーズ「AUF DER ANDEREN SEITE」第1回以来、ひさしぶりにおじゃまいたします。
昨日ちらっとトラックバック送ったんですけど、届いてないですかねー。
ま、それはどっちでもいいんですが。

YouTubeでこんなのあったですよ!まさにezgiどのがひとつ前の記事で指摘されてる台詞のシーンとエンディングの場面ですょね。(編集されてるこうなってるのか実際こういう流れなのか、本編見てないのでわからんのですが)

http://www.youtube.com/watch?v=Jq5RYf1ye4I&NR=1wat

そらお怒りもごもっとも。火も噴きたくなりまさーねw

それから監督のこの曲に対する執着とも言えそうなまでの思い入れ、たしかにビリビリ感じます。もしやこの監督はこの曲を使いたいがためにこそこの映画のシナリオ書いたんじゃないの?てなくらいの。

あたしもどっかで本編ちゃんと見ようっと。
んではまた!

Fikrimceさんおひさです。
そーそー、これですわこれ!わたしが前に見た動画。
やっぱり最初と最後がくっつけてあったんですわ。ダマされたv-15

この曲を使いたいがため、とまではいかなくても、映画が具体化する前から、「次の映画ではこの曲を使おう」って決めてたんじゃないかなあ、という気がいたします。

うーん、トラックバック…どうなっているのかよくわかりません。
実は、わたしが他に送ったトラバも、なぜか反映されないんですよね。
もしやここは、いつのまにかトラバ孤島になってしまったのか……v-12
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