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08 31
2007

キャーズム・コユンジュ

Kazım Koyuncu ~Viya!

Tulumba.comで試聴してたらものすごく欲しくなって、つい手がすべって注文しちまったい。

passeggerikazımくん2001年のアルバム。
このころのKazımくんは髪も短くてごくフツーの若者っぽくて好きだ。
中身のほうはというと、Haydeよりこぢんまりしている感じだけど、そのぶん素朴な力強さがある。
Haydeは黒海訛りのトルコ語の歌が多かったけど、こっちはラズ語・ラズ語・メグレル語・ラズ語・メグレル語・ヘムシン語・ラズ語・ラズ語・ラズ語ときて最後の2曲だけトルコ語である。

一曲目のKoçariはライブでやってたのと比べてまったりしてるけど、村の若いのが広場に集まって焚き火燃やしながら輪になって踊ってる、みたいな風情で、これはこれでやっぱりじっとしていられないのであった。
東京の会社で働いてたころ、神田祭のお囃子が拷問だったことを思い出した、なんとなく(笑)


 Ağne Lazuri birapa kianak ognas!
 (Yeni Lazca şarkıları bütün dünya dinlesin!)
                    -Nçaış Birapa(He Yana)より

ラズ語も、保存する努力なしには生き残れない言語である。
そんな言語でも歌になればこうやってはるか遠い国にまで届くことができる。
…Kazımくん、早死にしすぎだよ、やっぱ…
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08 30
2007

映画

カウリスマキのあかり

@シネテリエ天神
夜8:45からの一回上映だったけど、9月に入ったら昼と夜2回になるそうだ。
やっぱ8:45なんて時間に見に行ける人は限られているからね~いくらカウリスマキ・ファンでもね。

で、「浮き雲」と「コントラクト・キラー」を見てきた。

08 16
2007

音楽(トルコ)

Hikmet先生に習うトルコ語

くどいようですがKızçocuğuネタ続きます。

#べつに「死んだ女の子」に文句があるわけじゃありません。
 単なるオタッキーなトルコ語ばなしです。

↓でファジル・サイ版の英語字幕が「All that I ask is for peace you fight today」になっていると書きましたが、どうやらこれはPete Seegerによる英語版(I Come and Stand at Every Door)の歌詞をそのまま借用しているっぽいです。ですから実際にそのように歌っているかどうかはわかりません。


さて。
遠い昔、はじめて「死んだ女の子」の歌を知ったとき、

 私の髪に火がついて 目と手が焼けてしまった

という歌詞に「?」と思ったのですね。
「目と手が焼ける」って、なーんか変な表現ですよね。
で、これがもともとトルコ語の詩だと知って、じゃあモトがそうなってるんだろうとなんとなく思ってたんですが。
あらためて詩を眺めてみるに、そうではないことに気がつきました。

以下、トル検3級ヘボ訳つきで。



08 16
2007

音楽(トルコ)

Kızçocuğuと「死んだ女の子」

8月14日にNHKで歌ってましたね。「死んだ女の子」。

初めて聴いたときにも、「激情にかられすぎというか、死んじゃった7歳の女の子にしてはナマナマしすぎ」と書いた。それは曲の印象からそう思ったのだけど、改めてフルコーラス聴きつつ歌詞の字幕を追っていると、ことばの面でも、もとの詩よりもずいぶん激しく、かつ、具体的になったぶんだけナマナマしくなっている感がありますな。

だいたいしょっぱなから「開けてちょうだい」だし。それで「こわがらないで」といわれるとよけいにオカルト色が濃厚に。どっちももとの詩にはないフレーズである。
そして、「パンもお米もいらないの」とか「あめ玉もしゃぶれない」とか妙に具体的である。もとは単に「何もいらない」「お菓子も食べられない」なんだけど。

そして最大の違いは「平和な世界に どうかしてちょうだい」なのだな。
もとの詩はこの部分、teyze, amca, bir imza ver「おばさん、おじさん、署名をください」。つまり扉を叩いているのは署名をもらうため。この詩はおそらく当時のそういう具体的な運動と結びついていたのでありましょう。でも現在において元ちとせがテレビでそう歌ったら確かに変だ。
けど、それにしたって、扉をたたいて「開けてちょうだい」「こわがらないで」と迫っておきながら、言うことが「平和な世界にしてちょうだい」じゃあ、なーんか物足りないよーな気がするんだなあ。


やっぱりワタシは、もとの詩そのまんま、ことばも曲も抑制されたリヴァネリ版がいちばんいいや。


#ちなみにファジル・サイ版は、よくきこえないのではっきりわかりませんが、やはり署名云々はなくなっているもよう。英語字幕によると、その部分は「All that I ask is for peace you fight today」と出ています。
08 13
2007

音楽(トルコ)

はびっびぃ~はびっびぃ~はびっびやくとぅんべにはーいん!

猛暑日におすすめ。とっておきの暑苦しいクリップを発掘しました。

Habibi-Habib

エジPOPの大スタアAmr Diabの「Nour el Ain」のトルコ語カヴァーです。
こっちを先に知っていたため、オリジナルがサワヤカに思えてしまったの、これでご理解頂けるでしょうか。

ちなみにオリジナルはこちら
イントロの引っ張りぐあいからこっちもこっちでコテコテの展開かと期待してしまいましたが、スタアは三文芝居などやってくださらないようです。
08 07
2007

音楽(トルコ)

せっかくだから「日本の漁師」も

「死んだ女の子」(Kızçocuğu)をとりあげたついでに「日本の漁師」(Japon Balıkçısı)もいっときましょう。

「死んだ女の子」と同じトルコの詩人Nazım Hikmetの詩で、こちらはアメリカの水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸の事件から着想を得たもの。Burak Boraというミュージシャンが曲をつけて歌っています。こちらにあるのは歌にテキトーな画像をくっつけただけのもので、残念ながらBurak Boraのクリップではありません。
08 06
2007

音楽(トルコ)

Kızçocuğuふたたび

元ちとせが原爆ドームをバックに「死んだ女の子」を歌ったのは2年前のことでした。あのときは「見逃した!」と大騒ぎしたけど今ならyoutubeであっさり見れます(笑)

以前にも何度かネタにしましたが、これはトルコの詩人ナーズム・ヒクメットのKızçocuğu(「女の子」)の翻訳。ヒロシマの原爆で死んだ女の子(の霊?)が家々の扉を叩いて反核の署名を求めて回る…というもの。
トルコではズルフュ・リヴァネリが曲をつけたものが知られています。

ついでにyoutubeでいろいろ調べてみたら、トルコが世界に誇るピアニスト、ファジル・サイが曲をつけて演奏してるのもありました。

ん~~。これはちょっとかわいらしすぎというか、盛り上げかたが軽薄な感じがしちゃってワタシ的にはいまいちなんだな。

#しかしこの、隣で心配そうに見つめているじいさまは何なのだろう。


やはり「死んだ女の子」はリヴァネリ版がよい。

さがしたら、Funda Ararが歌っているもの発見。

それから、どういう人たちなのか知らないけど、サズに乗っけて歌ってるのも発見。こうなると立派にトルコ民謡にきこえますな。

08 03
2007

音楽(トルコ)

…HMVだめじゃん。

「メーカーの在庫切れ」により入荷のめどがたたないらしい。
注文した3枚ともぜんぶ。
だめじゃん。

ところで。
注文したのはOnnoさんとKazımくんと、あと1枚は何にしよーかなと考えて、Gökselの今年出たやつにしました。
もともと新しいの出たら買おうかなと思ってはいたのだけど、Youtubeで「Taş Bebek」(TeomanとmaNgaのFermanが登場しちょります)のクリップ見て即決。
もうね。Göksel節炸裂って感じで。


…でも、手に入らないし(笑)これはいよいよTulumba.comか……?
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プロフィール

e子

Author:e子
九州産北海道民


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